終わりたくない
月末に、今年1年かけて目指してきたピアノのコンクールを控えている。
以前にも紹介した、メンデルスゾーンの「前奏曲とフーガ ホ短調 Op.35-1」をずっと弾いていて、コンクールにもこの曲で臨む。
6月に初めて人前に出して、7回「本番」で弾いてきた。
私は極度のあがり症だ。
とはいえ、緊張するのはピアノの舞台だけで、例えば「今日これから、何か適当にテーマを決めて15分話して」と言われたら、100人を前にしても何も感じず15分話しきることができるが、ピアノとなると話は別だ。
あらかじめ決められた、ずっと練習してきた曲を人前で弾こうとすると、レッスンでも緊張して手が震えてしまう。
楽器を弾く人の間では、たびたび「どうすれば緊張せずに演奏することができるか」という話題で盛り上がることがある。
緊張が故の失敗や笑い話なども人それぞれあり、私の場合は「比較的大きめのホールで、遠くの席から見ても分かるくらい震えていた」と言われることが多い。
そして弾いている時も、呼吸の仕方が分からなくなったり、指に力が入らなくなったりと、緊張がもたらす悪影響は決して小さいものではない。
実は今日も、身内で開催するアマチュアの演奏会でこの曲を弾いてきた。
小規模なホールに、お客さまは9割程度入っていたように思うが、実はもう、ほとんど緊張することなく、冷静に弾くことができたのだ。
これは想定できていたことで、「あ、ようやくここまでこれたな」という気持ちで演奏を終えた。
演奏前のルーティーンやおまじない、リラックス方法などいろいろ言われているが、やっぱり私は、本命の本番で緊張しないためには「なるべくその曲を人に聴かせる機会を多く持つ」ことが大事ではないかなと思う。
もちろん、初めて人に聴かせるときは極度に緊張するだろう。でも、回数を重ね、会場を変え、楽器を変え、規模を変え…と経験を積んでいくうちに、「聴かれている感覚」「見られている感覚」が身体になじみ、最後には「曲がなじむ」状態になるのかな、と思っている。
ようやくタイトルの話をするが、今日の演奏では「本番前最後の人前演奏だから、この曲をうんと大事に弾こう」と決めていた。
一つの曲を1年もかけて練習するというと、ピアノを弾くたいていの人は驚く。
1年かけてかわいがってきた曲だ。
最初は仲良くなれそうになくて、故障した手になかなかフレーズがなじまなくて悔しさを感じるばかりだった。
手が回復してきて、思うようなフレージング、思うような音ができるようになって、この曲の解像度が上がってきた、そう思ったらもう最後の本番が近い。
本当に、簡単な曲ではなかった。
だからこそ、いったんの区切りが近づいてきた今日は、レッスンで身に着けたこと、自分で気が付いたことを丁寧に思い出しながら弾こうと思った。
全部はできなかったかもしれないけど、今日はちゃんと「曲と自分の対話」ができたように思う。
この曲は2曲構成で、1曲目の前奏曲、2曲目のフーガで成り立っている。
1曲目はその激しさに翻弄されないように、落ち着いて落ち着いて…と言い聞かせながら弾ききった。
2曲目は5部構成の大きな曲で、対位法の難しさと、メンデルスゾーンならではのロマン派の美しいフレーズをどう弾くか、それを考えながら進めて行く曲だ。
2曲目の終盤に、自分で思っていなかった感情が沸き上がってきて少し困惑した。
「弾き終わりたくない」
そう思った。
あと2分くらいで、曲が終わってしまう。
終わってしまったら、月末の本番でしか、もう舞台で弾く機会がなくなる。
2曲で10分弱の曲だ。今日の演奏が終われば、舞台で弾ける時間は、残り10分ということになる。
終わらないで…と思うと、少し泣きそうになってしまった。
演奏していて、感極まって涙が出てしまった事は過去に一度だけあるが、「終わりたくない」という理由ではなかった。
終わりたくなくて泣いてしまうなんて子供みたいだけれど、今日私は、子供みたいに「終わりたくない」と思ったのだ。
過去の記事で、この曲を「人生の1曲」として紹介した。
あのときは、今までにない没頭ができているから…くらいの軽い気持ちでそう位置づけた曲だったけれど、今になってみると、まさにこれは「人生の1曲」になるのではないかなと思う。
曲が終わるのが悲しいなんてね。
そんなわけで、残り2週間になった。
1日3時間弾くとして、練習できるのはあと42時間。残された時間は多くない。
大事に大事に練習して、当日、舞台の10分にいちばんの演奏ができたらいいなと思う。