手の故障と呪いからの解放
twicasでは何度か話しているが、私は左手の親指を故障している。
5年前、ITの仕事から一時的に離れてアルバイトをしていた調剤薬局で、固く閉まった薬瓶の蓋を開けようと無理に捻って傷めたのだ。
当時すぐ病院へは行き、「腱鞘炎」であることを言われたが、画像検査などはなく、ジクロフェナクナトリウムゲルを処方されて終わったのだった。
当時師事していたA先生に、直後のレッスンで手を傷めたことを伝えた。
親指を動かすと痛みがある、病院へ行き消炎剤をつけていると話した。
「それって、ピアノに関係がある話なの?」
と言われた。
ピアノでの怪我ではありませんが…と言うと、A先生は
「じゃあそんな話しないでよ、関係ないでしょう?病院なんて行って…本当大げさなんだから」
と答えた。
思えばこの時点で、A先生のもとを去るべきだったのだ。
明らかに怪我をしている。病院でも腱鞘炎と診断されている。
ピアノと関係がない作業で傷めたからと言って、ピアノを弾くときに痛みが治まるのだろうか?
私はこのときから、呪いにかかっていたのだと思う。
それから去年の12月まで、「左手が動かないね」「おかしな動きをしているね」と言われ続けてレッスンを受けた。
痛みはいつしか引いたが、安静にしていても左手の親指が曲がる。
早く動かそうとすると、曲がった状態で指が上にグイっと持ち上がってしまい、人差し指にくっつくようにして固まってしまう。
A先生はそれを見て「勝手に変な癖つけてこないでくれる?」と言った。
癖を直すためにと、親指を固定するようにテーピングをした状態で練習するように言われた。
親指を目いっぱい反らせた状態で先から付け根にかけて3Mテープを縦に貼り、突っ張り棒のようにして指が曲がらないようにするのだ。
固定した指で続ける練習はまったく捗らなかった。
私も途中で「これは癖ではなく怪我の影響なのでは?」と気づけば良かったのだが、ピアノのレッスンは「洗脳」の一種で、師が「カラスは白い」と言えば目の前のカラスが黒くても白だと言わなければいけない側面がある。
A先生が「練習で直る癖」だというのならこれは怪我ではないのだ…そう思いこんで、4年か5年練習を続けた。
そうこうしているうちに、以前書いた記事のような疑問や不信感が募り、A先生のもとを去ることにした。
新しい教室はすぐに決まり、B先生という先生のもとレッスンが始まったが、B先生は私の手を見るなり「どうしたの?」と聞いた。
最初は、癖がついてしまって直している最中で…と説明していたが、レッスンを進めているうちにB先生が「これは癖ではないと思います、昔何かありましたか?」と言い始めた。
正直この時まで、怪我の事はほとんど忘れていたのだった。
そういえば5年ほど前に…と怪我をしたことを話すと、「病院へ行った方がいいです、怪我が治っていないから」と言われた。
よく考えたら、「動作の癖」が訓練や物理的な矯正を施しても5年直らないというのはおかしな話だ。
A先生に師事していた時は、「時間がかかる癖がついてしまった」「A先生の言うとおりに練習していればよくなる」と信じて弾いていたが、実際は5年前と今の演奏を聴き比べても、まるで何も変わっていなかった。
癖を直すために練習量は増え、右手の技術は向上していったので、なおさら左手の奇妙な動きや音のムラが目立つようになっていた。
「これは癖ではない」と気が付いて、血の気が引いた。
5年間私は何をしていたのか。
40代も後半を過ぎている。年を取り、身体が自由に動かなくなり、好きなように楽器を弾けなくなるまでもうすぐだ。
5年間、手にテープを貼ったり、右手で左手が不随意に動かないよう押さえつけて練習したりしていた、もしかしてこれは、ほとんど無駄だったのではないだろうか?
すぐに症状を検索し、「手外科」という整形外科の専門科があることを知った。
幸いにも自宅から1時間程度の距離に手外科の病院があり、予約を取ることもできた。
明日診察を受ける。
どういう処置を受けるにせよ(手術を希望している)、今より悪くなることはないだろう。
この記事を書くにあたり、必ずA先生のことを悪く言わなければならないのでかなり躊躇した。
でも冷静に考えたら、師事していた期間の半分の時間を、おそらく無意味な矯正に費やし、怪我を訴えても取り合わなかったのは事実だ。
タイトルにも書いたが、これは「呪い」だったのだと今になると思う。
確かに情熱はあった。指導は細かかった。細かいからこそ、「指の癖」を直すことに熱心だったのだろうとも思う。
だが、1年やって効果が出なかった場合、普通は別のアプローチや原因究明に切り替えないだろうか?
これ以上考えると、私が逆にA先生を呪ってしまいそうなので気持ちを切り替える。
B先生に師事することで、かくして私は呪いから解放され、新しい道を歩むことになった。
手の異常に気付いたのは、その明確な一歩なのだと思っている。
さっきも書いたが、病院へ行って今より悪くなることはないのだ。
何も気づかず盲目的に、この先何年もA先生を信じて親指を固定し続ける自分を想像すると寒気がするが、もうその未来に進むことはない。
明日の診察から治療などは、また記事にしようと思う。
不安もあるが、よくなる期待の方が大きい。